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備忘録

エンデユアランス号漂流記

南極探検隊による記録。南極に行ってみたくなる。
気づいたところをメモ

船の難破と放棄は、まったく計算外の打撃とは言えなかった。私の脳中には、幾月かのあいだ、そうした惨事のことがぼんやりと描かれ、予想されていたのだった。そうして、いくども、どんな事態がおきてもそれに対処できる方法を練ってきたのだった。(p38)

⇒想定外の出来事、と言っているうちは甘いのかもしれない。

人間は腹ペコになると、選り好みなどすっかりしなくなって、残り物でも構わずに喜んで食べるようになる(p59)。

⇒贅沢もほどほどにしておけば、多少景気が悪くなってもどうってことない?

ところで、シャープ社に出資する台湾企業の経営者は、服装など、非常に質素にしているようである。(その分、個人資産でシャープ社に投資できるのかもしれないが)。常に、設備投資にお金をかけるため、ということらしい。さて、便利氏の業界に当てはめるとどうなるか?

以下、Amazonからの引用。

内容(「BOOK」データベースより)
初の南極大陸横断を企てた英国のシャクルトン隊長みずからによる探検記。壮図なかばにして船を氷に砕かれ遭難するも、氷海に投げ出されて孤立無援となった探検隊を率い、全員が奇跡の生還を果たすまでを描く。シャクルトンのリーダーシップと隊員の団結心、深い友情と信義、大自然との死闘、そして彼らの不撓不屈の精神…数ある南極探検のなかでも傑出した冒険記として読み継がれてきた、感動の記録。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
シャクルトン,アーネスト
英国の極地探検家。1874年生まれ。1901年予備海軍中尉に任ぜられ、同年スコット大佐のディスカバリー号南極探検に参加。1908年極点へ120キロ余りに迫り、前人未到の新記録をたてたが、飢餓と猛雪で引き返す。その功績でナイトの名誉称号を受ける。ついで本書にある南極探検を経て、第一次大戦には陸軍少佐として参加。戦後クエスト号による南極遠征の途についたが、1922年1月5日、南ジョージア島で心臓病により急逝する

木村 義昌
1913年佐賀県生まれ。拓殖大学山岳部員として北千島アライト山に登山。日本極地研究会創設に加わる。戦後は白瀬南極探検隊記念館参与を務める。1998年没

谷口 善也
1913年愛知県生まれ。拓殖大学山岳部チーフリーダーを務めるかたわら、日本極地研究会創設に加わる。元日本学術会議南極特別委員会委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)